和服や和の履物に込められた和式マインドフルネス③ ということで、今回でシリーズ3回目として武道を通じての「身体操作とメンタル」について書かせていただきます。私自身は5歳より柔道、16歳から合気道、本格的には18歳で合気道の道場住み込み、現在は58歳になりますので、半世紀以上武道と親しんでおります。その中で私なりに気づいたことを中心に書かせていただきます。読者の方と和の魅力を共有できれば嬉しく思います。

 

生命の原点

私たちの身体は脊髄によって生命活動を行っております。ダーウィンの進化論で言えば、魚から陸に上がった両生類、爬虫類、哺乳類と脊髄から手足を生やして身体を形成してまいりました。

 

脊髄の先に生命活動を司る脳があります。脊椎の中を走る神経が進化して脳になったとも言われております。人間の身体は脊椎から手足が枝分かれして、肩甲骨と骨盤をターミナルにジョイントしております。

 

つまり、脊髄、脳、骨盤と肩甲骨、手足というパーツの組み合わせが人体の基本形です。この基本形が人間における生命組織の原型ともいえるでしょう。そしてこの生命の原型を整えることは、私たちの思考や感情を整える重要なことなのです。武道や東洋の様々な心身調整法はこの生命の原型に即して「姿勢」を整えます。また、日本の武道が稽古に際して着物(道着)を着るのは、生命の原型に即した姿勢を作る重要な役割を着物(道着)が担っているからなのです。

 

腰から動く

古来の日本武道は刀を扱うことが基本にあります。現代でも剣道や長刀(なぎなた)、銃剣道、槍術、棒術などがありますが、合気道や柔道、空手など素手で行う武道が今は流行っております。

 

よく格闘技と武道を混同される方も多いのですが、根本的な考え方に違いがあると私は考えます。最初から素手を想定したレスリング、ボクシング、総合格闘技が裸に近い格好で練習や試合を行うのに対して、武道が着物(道着)を着用するのは武器を持つことを想定しているからなのです。

 

武器を持つということは、たとえば刀であれば、身体に当たれば切れるわけですから身を守るために衣服を着用します。衣服を着れば動きに制限がかかります。けれど、出来るだけ無駄な動きを無くして攻守一如(こうしゅいちにょ/攻めることと守ることを一つにする)ことが安全なのです。そのために精髄を身体の中心線として、骨盤と肩甲骨を操作しながら動きます。そして武道の動きと着物(道着)の稼働域は共通しているのです。

また、脊髄を中心に肩甲骨と骨盤を動かす動作は、「脊髄動物」では構造上理にかなった動きでもあるのです。

 

けれど人間は4足歩行から2足歩行に進化したことで、手足を独立して動かすことができる様になった反面、脊髄から動くということを忘れがちになります。その結果、生命の原型から離れて不安定な身体動作が起こり、骨格の歪みが生じることがあります。

 

上の図は刀を腰に差したまま、座って移動する「膝行(しっこう)」という動作です。刀の柄(つか/手で持つ部分)が左右にぶれない様に体を正面に真っ直ぐに立てたままで、丹田(へそ下部分)から前に進みます。胴体をひねる動作ではなく、骨盤を動かす動作になります。この「膝行」動作を上手に行うことができる様になると、立って歩くときも身体の中心線が左右にぶれず、上半身と下半身が安定して歩ける様になります。

 

そのことで、身体が構造的に調和して動ける様になり、それにともない身体の生理的な安定が精神的な安定を促します。つまり、動作に無駄がなく安定することで心も落ち着く様になるのです。

 

いつ、いかなる時に襲われても心も身体も乱れない様にする武道の知恵がこの「膝行」という稽古方法でもあるのです。

 

 

腰で立つ

歩く姿勢だけではなく、座った姿勢から立ち上がる上下の運動においても、身体を前後させることなく垂直に立ち上がることを武道では行います。この垂直に立ち上がることや垂直に座ることは、武道に限らず日本の着物を着た身体操作においては無意識に通常行われておりました。その動作は着物を着た伝統芸能や武道や茶道、日本舞踊などの所作として今も伝えられております。

 

現代人は、着物を着ると立ったり座ったりすることが困難になります。それは、着物が身体の可動域を狭くするためなのです。

 

たとえば、洋服を着なれた人の動作では椅子から立ち上がる時に頭を前に倒しながら立ち上がります。つまり、重心を前方に移動させなくては立ち上がれないのです。そこで、頭を前に倒せない様に誰かが前からおさえた場合は立ち上がれなくなります。

 

ところが、普段から着物を着なれている人は重心を前に移動させずに垂直に立ち上がることができますので、頭を前から押さえられても簡単に立ち上がることができるのです。

 

その理由は着物を着たまま畳や床に座ったり、立ち上がるなど日常的に行う中で自然と身体が垂直移動をできる様になるためです。たとえば、着物を着た旅館の中居さんなどは得意です。お盆にお茶やお料理を乗せて運び、座敷での配膳でも上手に身体を使ってお茶やお料理をこぼさずに運んでおります。

 

着物は胴体を折り曲げる動作を固定するために、着物を着ているだけで身体を前方に曲げずに垂直に立ち上がる方法を身体が自得するのです。腹式呼吸の吸気で腹圧を上げて骨盤を前傾させ脊髄を上方へ押し上げる動作ができる様になります。座る時は腹式呼吸で息を吐いて腹圧を下げ、骨盤を後転させることで脊髄を垂直に下げることが可能になります。

 

言葉で書くと複雑になりますが、着物を着て立ち座りを体験し、訓練をすればすぐに理解できるでしょう。

 

身体の開閉

腰に差した刀を鞘から抜く時は、腕を伸ばすだけではなく、肩甲骨を寄せて胸を開き、同時に骨盤を開きます。つまり、これを「身体を開く」と武道では表現いたします。腕だけで刀を抜きますと体軸が傾いたり、腰が安定しません。

 

足歩行の動物においては、前足と後足は地面について身体を支えて、その受け皿が肩甲骨と骨盤でした。そして、肩甲骨と骨盤は脊髄を挟んで連動した動作を行っていたのです。しかし、二足歩行に進化した人間の骨格は肩甲骨と骨盤は別々の動作を行えるようになりましたが、骨盤と肩甲骨は連動して稼働する機会が少なくなっております。

 

そのことで上半身と下半身のバランスが崩れやすくなっておりますので、武道では「身体を開く」という動作訓練を行うことで上半身と下半身のバランスを整えます。この「身体を開く」動作は、胸式呼吸と腹式呼吸を同時に行うことで開きます。

 

簡単に言うと、胸式呼吸の吸気で肋骨を引き上げて胸を開くことと、腹式呼吸の吸気で骨盤を開きますが、これを同時に行います。そして息を開くときに肋骨と骨盤が元に戻るのです。

 

胸式呼吸は交感神経、腹式呼吸は副交感神経に働きかけますので、この動作は交感神経と腹式呼吸のバランスや連動を調整する運動にもなっております。

 

 

 刃筋を通す

日本の刀は両手で振ります。本来、刀や棒などは片手で振った方が、可動域が広くなります。

しかし、なぜ日本刀は両手で持つかというと「攻守一如」(こうしゅいちにょ/攻めと守りを同時に行う)であるためです。刀にある鍔(つば)は盾です。相手の攻撃を鍔で受けると同時に相手を斬ります。

 

自分の身体の中心線で相手の攻撃を外して、相手の間合いに入り込むことが日本刀操作の原理なのです。つまり、日本刀は相討ちを原理としており、相討ちはお互いに良くないということで達人同士は刀を納める。争いを治めて平和に解決する。その理念と具体的な身体操作が刀を両手で持つという「姿勢」に込められているのです。

 

座礼は剣の極意

座礼とは、正座のままで相手に「礼」をすることです。両手の人差し指と親指で三角形を作り、その真ん中に鼻が入るように身体を前方に倒します。背中を出来るだけ曲げずに腰からゆっくり前に倒します。倒しながら息をゆっくり鼻から出してゆくことで、腹圧を下げて前に倒しやすくします。

 

目線は床に落とします。床に落として身体を前に倒すと前方が見えなくなりますが、気配を感じることができます。気配は目の端にぼんやりと感じる影や姿、相手の息づかいなどです。その気配の距離は相手の剣が届かないギリギリの距離なのです。

 

つまり、自分の防衛ラインを超えない限り攻撃をしない、という専守防衛の姿勢が日本武道の「礼」なのです。そして、この礼の動作は自分の中心線と相手の中心線をしっかり合わせてつなぐことが基本です。これを「結び」と言います。結びは日本古来の神道では「産素日」つまり産みなす生命の源という意味です。お互いに大切な自分の中心をしっかり合わせることで真心(まごころ)でつながることを意味します。

これが日本の武である剣の極意なのです。

 

 

まとめ

和服や和の履物と同じように和の武道は無駄な動きを削ぎ落として、体幹である身体の中心軸を守り、中心軸から力を発します。そのことで脊髄、骨盤、肩甲骨を連動させる動作に重きを置いております。

つまり、交感神経(興奮系)と副交感神経(鎮静系)のバランスを整えて身体と心を安定することこそ日本古来の身体操作ともいえるでしょう。


※本記事の内容は、執筆当時の学術論文などの情報から暫定的に解釈したものであり、特定の事実や効果を保証するものではありません。