全ての生命は自分自身と仲間を守る「武道」を生まれながらに持っております。武道というと柔道や空手などの現代武道や現代格闘技、護身術などをイメージする方も多いでしょう。けれど、どんなに武道が強くなっても新型コロナには感染しますし、経済的な貧困にはかないません。

 

本来の武道とは生命を守るものですので、当然病気や経済的不安からも守るものであるのです。空を飛ぶ小鳥や野に咲く小さな草花は誰に教えられることも練習をすることもなく、自らの生命や家族の安全を守ります。それは生命の中にある一定の法則があり、その法則にしたがって生かされているからです。ところが、人間はその法則を破って核兵器や細菌兵器まで作り出しました。それは必要でしょうか?確かに人間同士の勝手な争いには必要かもしれませんが、地球という一つの星の中に生きる生命体には無用の長物ともいえるかもしれませんね。

 

そこで、私たちは自分の生命宿る本来の武道を知ることで、人間全体として本当に必要なことを知るでしょう。同時に私たちの中にある不安を払拭して大きな安心を得ることこそ、マインドフルネスを学ぶ目的でもあるのです。

 

 

 

武道は自分の中にある「生命」に学ぶもの

私たちの身体は一体誰が創ったものでしょうか?人体の設計図である染色体は23種類46本があり、そこに含まれるDNAの塩基対は約60億あると言われております。半分は母親から、半分は父親から受け継いでおります。このD N Aは遺伝子と呼ばれ、全ての生物はD N Aの持つ情報を基に生命体として個体を形成しております。

 

このD N A情報は生命のネットワークとも言えます。このネットワークはそれぞれの生命を繋ぎ、地球環境を形成しております。

 

そのネットワークをより深く理解することこそ武道の目的なのです。武道は誰かや、何かを攻撃するものではありません。武道は生命をつなぎ守るものなのです。そして守られていることを知る道です。そのことを理解すれば、様々な不安から自分自身を守り、あなたの大切な人も守ることができるでしょう。私が学び続けている植芝盛平翁という合気道の創始者は、「武は愛なり」と表現されました。宇宙と調和して未来を産み出すことが武道の目的であると説明をされております。

 

では、それはどのような事なのかを探って行きましょう。

 

 

地球は弱肉強食ではない理由

 

時々、この世は弱肉強食だという人もおります。これは大きな間違いなのです。なぜなら、本当に弱肉強食であるならば地球上の生物はとっくに死に絶えております。勝ち組、負け組という言葉もありますが、それも間違いです。ひと時はその様に見えるかもしれませんが、それでは世界のバランスが崩れて世界が滅んでしまいます。

 

その証拠に今、私たちの世界は滅びかけていませんか?

 

たとえば、女性より男性の方が、力が強くて戦闘に長けている様に見えますが、ではなぜ女性が子供を産み育てるのでしょうか?男性が守ってくれるからでしょうか?昔から母は強しとも言いますが、腕力が長けていても知恵が足りなければ生き抜くことはできません。

 

ここで、身近な実例を少しご紹介いたします。

 

我が家にある日、若くてひ弱な黒猫が来ました。小さくてひょろひょろして弱弱そうでした。そこで私の妻が若い黒猫に餌をやりました。すると、このあたり一帯を仕切るボスが現れました。顔中傷だらけで、すごい気迫です。

 

黒ちゃんの餌を横取りして、「ここは俺の縄張りだ!」と睨みを利かせます。そこで私の妻が登場です。「私の黒ちゃんに何てことするの!」ホウキで追い払います。ボスも負けません。シャーシャーと反撃しようとしますが、睨みは妻の方が上でした。

 

この様にして、黒ちゃんは無事に我が家で餌場を得られたのです。そしてある日、黒ちゃんはガールフレンドを連れてきました。これまた、小さなキジ柄の可愛い娘です。実は最初はこの小娘だけが来ました。

 

私の妻は「それはダメ!うちの黒ちゃんの!」と追い払いましたが、黒ちゃんのガールフレンドだと知ると「2人で食べなさい」と餌を差し出すと、仲良く2人で食べる様になりました。

 

ところが、しばらくすると頻繁に小娘ネコだけが来る様になりました。妻は「ダメよ!黒ちゃんと来る時しかやりませんよ」と追い返します。

 

すると、小娘ネコは黒ちゃんを連れてきます。そして2人で食べます。妻が「あれ?もしかして、この小娘キジちゃんのお腹に赤ちゃんがいるんじゃない?」というので見ると確かにお腹がふっくらしております。だから、頻繁に餌をねだるようになったのだなぁと思いました。

 

やがてしばらくすると、小娘ネコはキジ母として黒ちゃんにそっくりの子ネコと自分にそっくりの子ネコ連れて来る様になりました。父親になった「黒ちゃん」は、子供たちとキジ母が食べるのをジッと見守ります。その理由は他のネコやボスが横取りしに来るのから家族を守るためです。

実際の子猫です。 

そして、しばらくすると子猫たちは来なくなりました。子供は巣立った様です。でも、キジ母のお腹はまた大きくなっております。また、出産するのでしょう。

 

そうして、月日が過ぎてキジ母が新しい元気な子供達を連れてきました。キジ2匹、シャム1匹???シャム??父親は黒ちゃんじゃないの?あんなに出産まで君たちを守った黒ちゃんの子供ではないの?この子は誰の子???

 実際の写真です。

おそらく、近所の飼い猫にそっくりのシャムのイケメンがいるので、キジ母が浮気をしたのでしょう。そうとは知らない黒ちゃんはキジ母と子供たちを守っております。

 

しばらくすると、黒ちゃんはたまにしか来なくなりました。キジ母と子供たちだけが来るようになったのです。おそらく、黒ちゃんは「あれ?これ、俺の子供じゃなくねぇ?」と気づいたかもしれません。

 

しかし、ある日、大事件が起きます。それは我が家の番犬である「ポポちゃん」が、家の窓から飛び出して、外でお食事中のご家族を襲ったのです。キジ母は自分がおとりになって子ネコを逃し、ポポちゃんをなんとか妻が取り押さえて大事に至りませんでしたが、もう怖くてキジ母も子供もこないだろうなぁと思っておりました。

 

やはり、1日姿を見せませんでしたが、しばらく顔を見せなかった「黒ちゃん」が来ました。黒ちゃんが来ると母キジが来ます。そして安全確認をして、「子猫たち」が再び来だしました。「黒ちゃんは」キジ母と子ネコの食事を見守ります。

 

こうなると、黒ちゃんは「キジ母」が浮気だろうが、子ネコが我が子かどうか?関係ありません。ここを守るのが「自分の使命」という気迫が宿っております。見ると身体も大きくなっており、他のネコやボスネコもやって来ません。どうやら、あの弱々しかった黒ちゃんは、ここ一帯のボスになったようです。

 しかし、このストーリーを見守る私には、どうしても黒ちゃんはキジ母の手のひらに転がされているように見えます。やはり母は強しです。

 

いかがでしょう?ネコの世界もけして弱肉強食なんて単純なものではありません。黒ちゃんもかっこいいし、キジ母も賢いのです。

 最近の子ネコたち

 

生命の戦略と戦術Strategies and Tactics of Life

どんな生命も戦略と戦術を持っております。さて、戦略とは何でしょうか?経営者やビジネスの世界でも戦略が大事とかよく言われております。しかし、経営やビジネスで言われている戦略は狭い意味での戦略でしょう。

 

元々、戦略とは戦争用語で戦に勝つために大まかな方針という意味でした。したがって、ビジネスでも勝つために方針を戦略という意味で使われる場合が多いと思います。しかし、自然界での戦略は生命と生命がつながることを意味します。

 

元々、この地球上では勝ち負けはありません。どのようバランスを得るかしかないからです。そして、個々の生命の中にもその原理が働いております。たとえば、私たちの身体でも心臓だけ強いとか、腸だけを優先してとか、脳だけが勝ち組などいうことがあれば、生命活動が成り立ちません。つねに優先することはバランスです。

 

そして、バランスが崩れれば、新しいバランスを描きます。つまり生命においての戦略は常にバランスです。このバランスは常に流動的ですので、バランスが崩れれば、新しい軸を求めます。人間が二本足で歩く時は、バランスを崩して新しい軸足を得ます。この繰り返しで前に進みます。

 

生命の戦略も同じで、バランスが崩れれば新しいバランスを求めて軸足が移動します。

 

たとえば、植物は移動できませんから新しい情報を増やすことができません。しかし、動き回るミツバチが花から花へ花粉をつけて回るために、新しい情報(D N A)を植物は得ることができます。そして、植物は環境の変化に対する生命のキャパシティーを広げることができるのです。これは植物と昆虫との共存システムの一部ですが、それが生命の戦略です。私たちも自分の身体に備わったD N Aの戦略があります。その戦略を人間は「愛」と表現します。生命の大きなビジョンである戦略は「愛」と人間が抽象化しました。

 

 

実践と基本稽古で毎日強くなる

私は道場で指導をしていた頃には、「道場へ通うのは強くなる稽古をするためではなく、ヒントや確認をするためです」とよく生徒に話をしておりました。本当の稽古は日常の全てなのです。道を歩くときもオフィスで仕事をする時も、家で家事をする時も全てが強くなるための稽古です。強さとは誰かに勝つことではなく、「よりよく生きる」ことだからです。より良い仕事ができるか?よりよく歩いているか?今日という日を、今を余すことなく生きているか?それを楽しんでいるか?そのこと全てが稽古なのです。

 

ソーシャルディスタンスは礼法

最近ではコロナの影響でソーシャルディスタンスが注目されておりますが、私は特別な事ではなく、当たり前の事であると思っております。たとえば、握手というものは西洋文化の流入によって現代では当たり前になっておりますが、江戸時代での挨拶は距離をとっておじぎをするものでした。武道で礼を重視するのはお互いの距離感を大切にするためです。

 

生物に生理的なパーソナルエリアがあります。ある一定の距離以内は本当に親しいもの以外は入れないという本能です。ところが、自然界を離れた人間はこのパーソナルエリアを無視して暮らさなければなりません。満員電車では見ず知らずの人が押し込められます。街では人がひしめき合っております。つまり、本来のパーソナルエリア感覚を麻痺させて日常を過ごしているのです。

 

距離を保つとは「相手に敬意」を払う事です。敬意とは相手をおそれ敬う心であって、尊敬の念に通じる気持ちです。それは、たとえ年下や同僚であっても、また親しい家族においても人は皆平等に唯一無二の素晴らしい存在であるという敬う対象であると認識する事でもあるのです。

 

たとえば、タイでは仏教が盛んですが、頭は神聖な場所であるという事で小さな子供の頭を気軽になでてはいけないとされております。相手を尊敬し、敬う心は距離感を大切にするのです。

 

西洋では陸続きのために戦争が多く、相手を尊敬する以上に恐れることも歴史上多かったのでしょう。距離を無理やり縮めて親愛の意思を伝える風習も必要だったと思います。しかし、自然界においては距離、特にパーソナルエリアは大切なのです。

 

しっかり距離を取りながら、相手に敬意を示すことが日本人が作り上げていた社会性であると思います。私たちも他人との距離は「相手への敬意」として保ち、その感覚をしっかり身体に身につければ良いと思います。その事でお互いを尊重しあい、お互いに敬意を持って作り上げる社会こそ本当に安心できる世の中であるでしょう。

 

私は武道の指導で間合いをいうことを教える際に、以下のように生徒に説明をいたします。「間合いとは相手に剣や拳が届かない位置をいち早く察することです。相手の剣や拳を怖いと思えば身がすくむでしょう。怖さを知らなければ斬られるか、殴られるしょう。相手を侮る(あなどる)ことなく、畏れ(おそれ)敬い、尊敬をもって親しみとすれば、自ずと礼の距離が生まれます。それが相手を傷付けず、相手に傷つけられない距離です。そして、本当に必要な時に相手を支えることが相手との距離を支え合う親愛の距離でしょう」

 

 

武蔵を捕まえたタクアン和尚

吉川英治氏という昭和の作家が書いた小説に「宮本武蔵」という剣豪の半生を書いたものがあります。立身出世を求めて日本一の剣士を目指す若者が、やがて人間として生きる本当の強さに目覚める物語です。

 

その小説の中にタクアン和尚という禅僧が出て来ます。タクアンとは沢庵と書きます。漬物のタクアン漬けは沢庵和尚の発明とされております。その由来があります。江戸幕府三代目将軍の徳川家光が沢庵和尚に「最近美味いものばかり食べているが、食べ飽きたのでもっと美味いものがないか?」と尋ねます。すると沢庵和尚は「明日に我が寺へお越しください。」とお誘いしました。

 

翌日、徳川家光は喜んで朝早くから沢庵和尚のお寺へ行きます。すると沢庵和尚は留守をしております。小坊主が「少々お待ちください」という。けれど、待てども沢庵和尚は現れません。ついに家光は腹が減り怒りだします。ようやく、沢庵和尚がやって来ます。

 

家光は「遅いぞ!腹が減った!!さっさと出せ!」とすごい剣幕です。沢庵和尚は平然としてお膳を差し出します。そこにはご飯と、黄色漬物だけがありました。家光はとにかく腹が減っているので、むさぼるようにそれを食べます。そして、「沢庵和尚、この漬物はなんというものだ!これほど美味しいものを食べたことはない!」と驚きの声をあげます。

 

沢庵和尚は平然と「それは空腹という食べものです。世に空腹より美味しい食べものはありません」とこたえました。徳川家光は感心して、質素倹約に務めると共に沢庵漬けを世に広めたとされております。

 

本当にあった話かどうかわかりませんが真実が語られていると思います。沢庵和尚は実在した禅僧で臨済宗妙心寺派の禅僧です。実は私も同じ宗派の僧籍で沢庵和尚は大先輩です。そして、本当に徳川幕府の顧問的な役割をもって家光に仕えておりました。また、将軍家平方指南役の柳生宗矩とも親交が深く、禅で剣の極意を説明する「不動智神妙録」を沢庵和尚が書いて、柳生宗矩へ贈っております。

 

さて、小説「宮本武蔵」での沢庵和尚は吉川英治氏の創作ですが、若き宮本武蔵が大暴れして山へ逃げ込みますが、大勢で山狩りをしても中々捉えられない場面が描かれております。

 

そこに沢庵和尚が「わしが捕まえれば、わしが好きなようにしてよかろう」と代官に伝えて、山に武蔵の恋人のお通さんを連れて山に入ります。日が暮れだすと沢庵和尚は焚き火をはじめて、その火でお粥を炊きます。そしてお通さんに笛を吹いてくれと頼みます。そして、炊き上がったお粥をお通さんの笛の音を聞きながら悠々と食べだします。

 

笛の音と粥の匂いに誘われて隠れていた武蔵はたまらず出て来て、粥を沢庵和尚にねだります。沢庵和尚はゆるりと粥のお椀を武蔵に差し出します。武蔵はむさぼるように食べ、やっと心も穏やかになったところで武蔵の言い訳を沢庵和尚は黙って聞くのです。

 

しばらく聞いていた沢庵和尚は「お前は獣に過ぎない、人間になれ!」と馬乗りになり、泣き崩れる武蔵をお縄にするのです。

 

散々、大勢での山狩りで見つからない武蔵を沢庵和尚はお粥と恋人の笛で心に訴えかけ、暴れ回る獣のような武蔵を説教でお縄にする見事に「戦さ」を治めたのです。これが禅の生命に問いかけるマインドフルネスな武道であると言えるでしょう。吉川英治氏という天才作家の描いた宮本武蔵はまさに名作とも言えるので、ぜひ興味があれば読んでみてください。

 

フィットネスは生活の中で

身体を鍛えることを特別に行うのではなく、日常の中でたくさんあるのです。ボディビルダーのような身体やモデルさんのようなスタイルをつくるということであればフィットネスクラブに通うことも良いでしょう。

 

しかし、運動不足だからという理由やある程度の強靭な身体をつくるのであれば日常生活の中でいくらでも出来ることがあります。

 

特別な時間も、費用もかかりません。むしろ生活も経済も向上するでしょう。それは禅の修行では作務(さむ)といいます。日常生活に必要な掃除や洗濯、炊飯などです。確かに昔は洗濯機も水道も掃除機もありませんから、薪割り、水汲み、火起こしなどは重労働だったことはあります。けれど、現代でも暮らしの中で掃除や洗濯、料理なども「ていねい」に行えばそれはそれで身体を結構動かすものです。家だけではなくオフィスでもディスク周りや会社の共有部分を積極的に掃除するだけでも身体も気持ちもきれいになるものです。

 

ここで一番大切なことは先ほど書いた「ていねい」がキーワードになります。洗濯物をていねいに畳む、掃除をていねいに隅々まで行う。動くたびに片付けて、動くたびできれいにする。それを出来るだけ姿勢を正しく行う工夫をする。

 

これは最高のフィットネストレーニングです。やればやるほど身体も整い、家も会社も街もきれいになるでしょう。私も道場に住み込んで師匠から教えられたことは掃除でした。ホウキの掃き方、チリトリの使い方、窓の拭きかた、床の磨き方など毎日、心を込めて行うことがどれだけ武道の身体の使い方に役立ったことか。足捌き、腰の入れ方、心の込め方、それで他の弟子よりもどんどん強くなってゆくことが出来たのです。

 

 

ツボの学び方と実用

もう一つ、私が合気道の師匠から教わったことがあります。それは一般の稽古が終わると師の肩揉みや指圧をすることでした。指の使い方、呼吸と力の入れ方、身体のツボなどを師の身体を揉むことで覚えたのです。師はここを押せとか、力が足りないとか、細かくは言いません。肩の力を抜いて相手の身体を感じながらツボを探るのだよ。ワシも大先生(植芝盛平開祖)のお身体をそのように揉ませて頂いた。

 

人間の身体は神様が住む社(やしろ)なのだ、ていねいに大切にしなければならない。けして相手を傷つけようと思わないことだ。相手から傷つけられそうになっても、必ず神様が守ってくれるものだ。

 

合気道の創始者も私の師もよく神様の話をされました。神様とは生命であると私は思います。生命にどれだけ向かい合うか、生命から学ばせていただく姿勢を大切にすることで、人は生命そのものに守られるのです。

 

たとえば、もしあなたの手を誰かが強く取ったら、その手を振り解きたいと思うでしょう。そして、相手があなたより力が強ければ振り解くことはできません。けれど、その相手の手を握手だと思うと自分の身体の力みがなくなります相手は敵意をもっていればそこに心が固執しているので、あなたの自由な心はいくらでも対処できるのです。こればかりは、実際の体験と稽古が必要かもしれませんので、機会があれば講習会もしてみましょう。

 

ただ、ぜひ日常で親しい人がいるなら肩揉みをしましょう。そのことで気付くこともきっとたくさんあるはずです。

 

 

まとめ

 

自分の生命や大切な家族を守ることが武道です。その武道は私たちの生命の設計図であるD N Aの中に膨大な情報を読み解くことで学ぶものです。まず、大切なことは生命の戦略を知ることです。生命の戦略はバランスをとることです。バランスが崩れれば、新しいバランスを得ようと生命は知恵を出すでしょう。

その知恵を感じ、磨き、つながることが武道であり、その武道は必ずあなたの生命やあなたが守べ家族や友人や恋人を守ります。常に日常で意識を生命のバランスに向け、勝ち組負け組、弱肉強食という古ぼけた幻想を脱ぎ捨てることが何より大切です。

生命の戦略というビジョンが明確になれば、戦術という方法が無限に創作することができるのです。これがマインドフルネスが描く戦略の力です。



※本記事の内容は、執筆当時の学術論文などの情報から暫定的に解釈したものであり、特定の事実や効果を保証するものではありません。