あなたは”瞑想”と聞いてどのようなイメージを持つでしょうか?

瞑想は、少し前までは”スピリチュアルな印象”を持たれたり”胡散臭い”と思われたりしがちでした。
しかし最近では、有名企業や著名人がパフォーマンス向上のために瞑想を取り入れるなど、瞑想が生活の質を変えてくれるツールとしての地位を確立しつつあります。

そんな役に立つツールである瞑想が、なぜスピリチュアルで胡散臭いなどと思われてきたのでしょうか?

その大きな理由の一つは「瞑想が仏教に由来するため」です。

この記事では、瞑想と仏教の関係性をきちんと理解して、”瞑想はなんとなく胡散臭い”という固定観念の払拭を目指してみましょう。

ブッダが悟りを開いた経緯

まずはいかに瞑想が誕生したかを見ていきましょう。
瞑想の誕生を知るのに欠かせない人物が”仏陀(ブッダ)”ですので、ブッダとは何かを最初に確認しましょう。


ブッダとは?

ブッダとは、仏教で悟りを開いた者を表す役職名のようなものですが、普通ブッダというとお釈迦様ただ一人を表します。
ややこしいのが、この”お釈迦様/釈迦”というのも本名ではなくニックネームのようなものです。
釈迦の本名はゴータマ・シッダールタと言います。

つまり、ブッダ = 釈迦/お釈迦様 = ゴータマ・シッダールタで、全て同一人物を表します。ややこしいですね。
著名人を例にとれば、〇〇会社社長 = ホリエモン = 堀江貴文、みたいなものです。
この記事では統一してブッダと呼ぶことにします。

ブッダの悟りと瞑想のつながり

ブッダをご紹介したはいいものの、ブッダと瞑想はどのような関係があるのでしょう?

結論から言うと、実はブッダが悟りを開くために使われた方法が”瞑想”なのです!


ではいかにブッダは瞑想を使って悟りを開いたのでしょうか?

まずブッダは国王の子供として生まれました。
場所はシャーキアというインドの小国でした。
ここでブッダは将来の国王となるために日々厳しい教育を受けていました。

そんなブッダはある日、お城の東門にてとある老人を見かけました。続いて南門に言ってみると病人に出会い、そして西門にて死人を発見しました。
ここでブッダは老・病・死こそが生きていれば誰もが恐怖を感じる3つの苦しみだと気付いたと言われています。

そして最後に北門に出てみると、そこでブッダは修行僧に出会いました。
これをきっかけにブッダは、生きる苦しみを克服するために修行僧となる道を選びました。

実際にここまで綺麗なストーリーがあるとは少し考えにくいので、尾ひれの生えた逸話かもしれません。
しかしブッダが生きる苦しみを自覚して、それを克服するために修行僧となるのが良さそうだと考え行動した部分は、十分ありえる話でしょう。

さて修行僧の道を歩き始めたブッダがまずしたことは苦行です。
ひたすら苦しい修行を行い、その結果として生きる苦しみを克服しようと考えたのです。
ただ残念ながら、6年にも及ぶ苦行でもブッダは悟りを開くことはできませんでした。

ここからが本題です。

苦行に見切りをつけたブッダが悟りを開くために新しく始めたこと。
それが”瞑想”だったのです!

苦行に耐え続けることでは生きる苦しみを解消できなかったブッダは、「では生きる苦しみはどこから来るのか?」を考えることにしました。
そのためにブッダは、じっと黙って自分の心を観察し始めました。自分が何を苦しいと感じて、それはなぜ苦しいのかを知るためです。

そうして自分の心の動きをひたすら観察し続けた結果、「生きる苦しみは自分の心が生み出しているものにすぎない」という気付きを得ました。
これがブッダが悟りを開いた瞬間です!

「あれ、瞑想は?」と思われたでしょうか?
実は先ほどブッダが行なっていた「心の動きの観察」こそ、まさに”瞑想”そのものだったのです。

こうして瞑想が「生きる苦しみを克服して悟りを開く役に立つ方法」としてブッダに発見され、それが仏教における訓練方法として未だに受け継がれているのです。

ブッダが実践した瞑想

ここまででブッダが悟りを開いた瞑想が誕生した経緯をお話ししました。
次は、そのブッダが実践した瞑想法がどのようなものだったかをお話ししましょう。

ブッダが実践した瞑想法から今回は2つをご紹介します。

ヴィパッサナー瞑想とは

ブッダが実践した瞑想法の一つ目が、ヴィパッサナー瞑想です。

ヴィパッサナー瞑想の内容はもう既にこの記事で解説しました。
何かというと、ブッダが悟りを開くために行なった「心の観察」がまさにヴィパッサナー瞑想なのです。

ヴィパッサナーとは”観察”を意味する言葉です。
瞑想中に感じたことすべてをただ観察するのがヴィパッサナー瞑想のやり方です。

ただし、何かを考えてしまうのはNGです。思考は雑念扱いになります。
ただ感じたことをありのまま、他人事のように観察して、そのまま放っておく。
それがヴィパッサナー瞑想なのです。

具体的なやり方は後ほどご紹介します。

サマタ瞑想とは

ブッダが利用した瞑想法の2つ目が、サマタ瞑想です。

サマタ瞑想とは、一つのものに集中して意識を向ける瞑想法です。
先ほどのヴィパッサナー瞑想では集中する対象が心の赴くままに変化しましたが、このサマタ瞑想はただ一つに集中する点で別物です。

サマタ瞑想はヴィパッサナー瞑想よりも基礎的で、仏教徒の修行でもヴィパッサナー瞑想の前段階としてまず行われるものになっています。
まずサマタ瞑想で一つのものにしっかり集中できるようになってから、その集中を心の赴くままに移ろわせて観察するヴィパッサナー瞑想に進みましょう、ということですね。

ちなみに現代人に最も普及している「呼吸に集中する瞑想法」はまさにこのサマタ瞑想になります。
好きな体勢で目をつむり、じっと呼吸に意識を向けるだけでできます。
手軽にできますので、興味のある方はまずお試しください。

ブッダが悟りを開いたヴィパッサナー瞑想のやり方

ブッダの実践した瞑想法をご紹介したところで、実際にその瞑想のやり方をみてみましょう。
今回はヴィパッサナー瞑想の手順を簡単にご紹介します。

ヴィパッサナー瞑想はいくつかやり方があるのですが、その中でも「立って行う瞑想法」を今回はご紹介します。
手順は次の通りです。
手順
・立って背筋を伸ばし、軽く目をつむりましょう。これが基本姿勢となります。
・感じる体の感覚に意識を向けましょう。例えば足の裏から床の温度を感じたり、呼吸によるお腹の動きを感じたり、姿勢を支えている筋肉の締まりを感じたり、その都度の感覚を素直に感じましょう。
・この時、感じたことを言葉にしましょう。声に出しても頭の中で呟いてもいいです。「背筋が伸びています」とか「手の位置がぎこちなく感じます」とか「少しふらつきます」など。

注意点
・感覚に対して何か考えてしまった場合は「雑念、雑念、雑念、、、」と唱えて、雑念扱いします。そして再び感覚に意識を向けましょう。
・何に感覚を向けていいかわからない場合は、2つオススメがあります。一つは足の裏から頭に向かって体をスキャンしていくこと。方向は逆でも良いです。また二つ目は、呼吸に意識を向けること。意識を向ける対象に迷ったら、どちらかを試してみましょう。
・初めは意識を集中させるのが難しいかもしれませんが、それで良いです。間違っても自分を責めたりはしないでください。仏教徒が修行で使うくらいなので、マスターするのは難しいものなのです。
はい、立って行うヴィパッサナー瞑想のやり方は以上になります。
瞑想を行う時間としては、5分以上は確保したいです。できれば15分程度が目安です。
続けやすい時間で、なるべく長い時間に設定しましょう。
ちなみに瞑想中はタイマーで時間をセットしておくと、残り時間が気にならないのでオススメです。

番外編:瞑想を眠りに活かす

ここで、これまでご紹介してきた瞑想とは少し違ったものもご紹介しておきます。
それが「眠るための瞑想」です。

サマタ瞑想やヴィパッサナー瞑想は、仕事のパフォーマンスを上げたり何気ないことに幸福感を感じやすくなったりと、現代人の様々な悩みに効果があります。
現代人の悩みは様々ありますが、「満足な睡眠が取れない」というのもまた大きな悩みです。
スマートフォンの発達や、仕事による夜型生活などがその原因です。

この睡眠の問題の解消にも瞑想を利用することができます。
そのためのアプリがRelookです。

Relookを眠る際に使うことで、睡眠のための瞑想を行う音声ガイドが流れます。
それに従って呼吸を整えたりすることで自然と瞑想を行うことができて、気づいたら眠れていた、というように睡眠に誘導してくれます。

睡眠に悩む方は一度お試しください。
リンク↓↓
https://relook.app/

ブッダの瞑想法に関する本を紹介

さて、ブッダが実践した瞑想法の概要についてはここまでになります。
最後にもっと詳しく知りたい方に向けて、ブッダの瞑想法に関する本をいくつかご紹介して終わりにします。

まず1つ目が「反応しない練習」です。
こちらは瞑想法の解説よりは、なぜ瞑想が必要なのか、どういう効果があるのかなどを解説されている一般向けの本です。
瞑想関連の本の中で上位の人気を誇る本です。


2つ目は「実践 ブッダの瞑想法」です。
こちらはその名の通り実践的な本で、DVDも付いてますので実際に瞑想を行う際に参考になります。


最後にオススメする本が「自分を変える気づきの瞑想法」です。
こちらの本はやり方と大事な注意点などがしっかりと押さえられていて、とても参考になります。
瞑想を実践される方には、まずこちらをオススメします。


まとめ

ブッダが悟りを開く際に行なった瞑想法についてご紹介してきました。

最初に、瞑想は少し前までスピリチュアルなものだったとお話ししましたが、仏教に由来するものといえど瞑想の本質は”集中”です。
集中して世の中のゴタゴタを一瞬忘れる時間をとることが現代における瞑想の役割ですから、もし瞑想に胡散臭さを感じている方は一度その偏見を取っ払ってみて欲しいです。

※本記事の内容は、執筆当時の学術論文などの情報から暫定的に解釈したものであり、特定の事実や効果を保証するものではありません。