チベットの瞑想熟達者とは

どんな世界においても「プロ」というのは常人からは考えられないようなことをやってのけます。


100メートル10秒を切る陸上選手

何億もの可能性を読むコンピュータと互角に戦う将棋棋士

耳で聞いただけですぐにその曲を再現してしまうピアニスト


などなど。

何年にもわたる血のにじむような努力の末に脳が変化し、特別な技術を身につけた人たちです。


実は、「瞑想」の世界にもプロと呼べる人たちがいます。

チベットのお坊さんです。

彼らは1日に何時間も瞑想をするという修行を何年間も続けているのです。

まるで瞑想アスリート。


でも、瞑想なんてはたからみればプロも素人もないと思いませんか?

ただ目を瞑っているだけじゃないですか。


はたしてひたすら瞑想を極め続けると何か特別な力が身につくのでしょうか。

今日は、科学の最前線で報告された一流の論文を紹介しながら、この疑問を考えていきましょう。



研究概要

今回紹介する論文は、2019年にCerebral Cortex誌に報告されました[1]。

わざわざ私が雑誌名を書いたのには訳があります。

なぜならCerebral Cortex誌という雑誌は、脳科学の世界では誰もが知るようなとてもレベルと信頼度の高い雑誌だからです。


そんな雑誌に、ちょっとオカルトチックな「チベットのお坊さんの瞑想」なんてことを研究した論文が載っているのです。

こんな一見うさんくさそうな話題であっても、科学の手法にのっとって研究されているんですね。


さて、この研究ではチベットのお坊さん60名と、瞑想初心者25名の脳波を比較しました。

瞑想のプロを60名も集めて脳波を測るなんて簡単なことではなく、この時点でとても貴重な研究です。


彼らは、1日に最低でも2時間の瞑想をしており、平均して18年もの経験を積んでいました。

とても真似できないほどの修行時間ですね。


瞑想に詳しい人のために補足しておくと、彼らが実践した瞑想はいたってスタンダードなサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想でした。

呼吸に意識を向け続けたり、ただあるがままに体に意識を向け観察し続けるといった瞑想です。


さっそく瞑想のプロの脳波の特徴を解説したいのですが、少しだけ脳波の基礎知識について説明させてください。

これを知っておくことで、瞑想のプロがどうすごいのか理解しやすくなるはずです。


私たちは1分間におよそ70回ほど、心臓が拍動しています。

当たり前ですね。


ここからが大事なのですが、これら1回1回の拍動に対して、私たちの脳波は毎回「反応」しているのです。

当然これは無意識な反応です。


無意識なのでよくわからないかもしれませんが、1回拍動するたびに脳波がゆらいでいる。

別にそれが悪いことでもなんでもありませんが、とにかく、私たちの脳波は無意識レベルで心拍に反応しています。



瞑想のプロの脳波とは①

これを知っておいた上で、瞑想のプロの脳波は何が違ったのかみていきましょう。

結論から言います。


瞑想のプロが瞑想をしているとき、この心拍に対する無意識の脳の反応が統計的有意に小さくなっていたのです。

え、そんなこと?と思う人もいるかもしれません。


でも私はこの結果を見て驚きました。

なぜか?


それは、瞑想のプロは無意識レベルでもゆるがない脳を手に入れていることを意味していたからです。


意識できるレベルのことが変化するのはわかります。

たとえば瞑想のプロはちょっとうるさくても気持ちがゆるがないとか、そんなことは起きそうですよね。


でも今回の結果が示すところは、心拍という私たちがとても意識できないようなことに対してもゆるがない脳を、瞑想のプロは手に入れているということなんです。


今こうしているあいだにも、あなたの心臓は拍動していて、それに対して1分間に70回もあなたの脳は無意識に反応してしまっています。

瞑想のプロでは、そんな反応すらも小さくすることができるんです。


だとしたら、彼らが他のあらゆるものごとに対してもゆるがない脳を手に入れているということは想像にかたくありません。


プロの将棋棋士が将棋盤を前にしたら無意識に次の一手がみえてしまうような、そんな大きな変化が瞑想のプロの脳には起きているのです。



瞑想のプロの脳波とは②

とはいえ、ここまで書いてきた結果は「瞑想をしている最中」の脳波についてでした。

いくら瞑想をしているときに凄くても、日常になんの変化もないのであればあまり嬉しくないかもしれません。


そこで研究チームは、彼らが瞑想をしていないときの脳波も計測しました。

このあたりの抜かりなさが、一流の研究誌に報告される研究のすごみですね。


結果として、彼らは瞑想をしていないときでさえ、脳波の心拍への反応は明確に小さくなっていることがわかりました。


何年にもわたる修行の末に、彼らは普通に過ごしているときでさえゆるがない脳を手に入れたのだと言えるでしょう。

瞑想の熟達者は認知機能が高まっていること[2]などが知られていますが、それはこのような無意識レベルの脳の変化によるのかもしれません。



短期間の瞑想は脳を変えるか

ここまで、1日何時間もの瞑想を何年間も続けた瞑想のプロは脳の反応が変わるということを書いてきました。

そう聞くと、とても自分はそんなに長時間瞑想を続けることなんてできないなぁ、と思うかもしれません。


それはそうです。

仕事や学校に行って生計を立てなければならない私たちが1日に何時間も瞑想をするのは簡単ではありません。


そこでこの章では、短時間の瞑想には効果がないのか?という疑問について少し考えていきましょう。

これについても、実はたくさんの研究がおこなわれているんですよ。


あまりにもたくさんの研究があるので、ここでは重要な研究をいくつかピックアップして紹介していきます。


①1日20分×4日の瞑想でワーキングメモリが向上する

2010年にConsciousness and Cognition誌に報告された研究では、24名の初心者に1日20分の瞑想をたった4日間だけおこなってもらいました[3]。

その結果、瞑想をしなかったグループと比べて統計的に有意にワーキングメモリ課題のスコアが向上しました。


②4日間の集中的なマインドフルネスセッションでストレスが軽減する

2020年にFrontiers in Psychology誌に報告された研究では、77名の教師に対してマインドフルネスのセッションを4日間おこなってもらいました[4]。

このセッションはMBSR(Mindfulness Based Stress Reduction)と呼ばれる方法で、とてもスタンダードなものです。

一回のセッションは1日がかりで長いですが、この研究ではそれを4日間だけおこなってもらいました。

その結果、MBSRをしたグループはそうでないグループよりも明らかにストレスとネガティブ感情が減少しました。


③スマホアプリでのマインドフルネスは不安やうつ症状を改善する

2019年に、もっとも信頼性が高いと呼ばれる手法であるメタ分析をおこなった論文が報告されました[5]。

この研究ではスマホアプリでのマインドフルネスが効果的かどうかを検証するために、66報もの研究論文を網羅的に調査しています。

とても大規模な研究です。

その結果、スマホアプリでのマインドフルネスであっても、統計的に不安やうつ症状を改善することが確認されました。


というわけで、これらはあくまで氷山の一角でしかありませんが、短時間・短期間の瞑想であっても認知機能やストレス、不安の改善に効果があるということが繰り返し確認されていることが伝わりましたでしょうか。


確かに、チベットのお坊さんのように長時間の瞑想には及ばないかもしれません。

でも、短期間の手軽な瞑想であってもあなたの脳は少しずつ変化していくんですね。


まとめ

長くなりましたが、チベットで修行を積んでいる瞑想のプロの脳波について解説してきました。

瞑想は、はたからみればただ目を瞑って動くのを我慢しているだけに見えます。


でも脳の中ではオリンピックのアスリートにも劣らない大きな変化が起きているんですね。

今では瞑想に対する偏見も小さくなり、手軽に瞑想を始められる時代になってきました。

あなたも瞑想を取り入れて、ゆるがない脳を手に入れてみてはいかがでしょうか。


※本記事の内容は、執筆当時の学術論文などの情報から暫定的に解釈したものであり、特定の事実や効果を保証するものではありません。


引用文献

[1] Jiang H, He B, Guo X, Wang X, Guo M, Wang Z, Xue T, Li H, Xu T, Ye S, Suma D, Tong S, Cui D. Brain-Heart Interactions Underlying Traditional Tibetan Buddhist Meditation. Cereb Cortex. 2020 Mar 21;30(2):439-450. doi: 10.1093/cercor/bhz095. PMID: 31163086.


[2] Wang MY, Freedman G, Raj K, Fitzgibbon BM, Sullivan C, Tan WL, Van Dam N, Fitzgerald PB, Bailey NW. Mindfulness meditation alters neural activity underpinning working memory during tactile distraction. Cogn Affect Behav Neurosci. 2020 Sep 24. doi: 10.3758/s13415-020-00828-y. Epub ahead of print. PMID: 32974868.


[3] Zeidan F, Johnson SK, Diamond BJ, David Z, Goolkasian P. Mindfulness meditation improves cognition: evidence of brief mental training. Conscious Cogn. 2010 Jun;19(2):597-605. doi: 10.1016/j.concog.2010.03.014. Epub 2010 Apr 3. PMID: 20363650.


[4] Berkovich-Ohana A, Lavy S, Shanboor K. Effects of a Mindfulness Intervention Among Arab Teachers Are Mediated by Decentering: A Pilot Study. Front Psychol. 2020 Sep 29;11:542986. doi: 10.3389/fpsyg.2020.542986. PMID: 33132951; PMCID: PMC7550638.


[5] Linardon J, Cuijpers P, Carlbring P, Messer M, Fuller-Tyszkiewicz M. The efficacy of app-supported smartphone interventions for mental health problems: a meta-analysis of randomized controlled trials. World Psychiatry. 2019 Oct;18(3):325-336. doi: 10.1002/wps.20673. PMID: 31496095; PMCID: PMC6732686.