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瞑想と坐禅の違い
マインドフルネスという言葉が一般化してきた今日この頃。
あなたも、もしかしたら体験したことがあるかもしれません。
マインドフルネスを検索すれば、やり方を説明するサイトや動画、書籍がたくさん見つかることでしょう。
マインドフルネス瞑想の基本は、静かに座り、呼吸に集中して雑念を受け流すこと。
どの解説を見てもこのように書いてあるはずです。
そして、「いわゆる坐禅と何が違うの?」と疑問を抱いたでしょう。
「結局マインドフルネスって坐禅のアメリカ版なの?」と思ったあなた。
そんな疑問にお答えします。
禅とマインドフルネス、似ているようで似ていない、この二つを比較し、説明していきましょう。
※この記事では「瞑想=マインドフルネス瞑想」と定義させていただきます。
伝承の由来
マインドフルネス瞑想と坐禅、この2つは歴史的文脈が大きく異なります。
マインドフルネス瞑想は、アジア南方のテーラーワーダー仏教(上座部仏教・南伝仏教ともいう)と呼ばれ、初期仏教に近いとされるものの中で発展してきました。
一方の坐禅は、東アジアの大乗仏教の中で発展してきました。
インドで釈迦が悟りを開いたのが、今から約2500年前といわれています。
釈迦が亡くなった後、釈迦の教えに対する見解や考えの違いから、弟子たちが複数のグループに分かれました。これが、テーラーワーダー仏教と大乗仏教という枝分かれにつながりました。
そして紀元後すぐ、大乗仏教とテーラーワーダー仏教が同時に、中国へ伝わりました。
中国では大乗仏教を主に取り入れられました。
その結果、中国から仏教を輸入した日本には、大乗仏教のみが広まりました。
大乗仏教とテーラーワーダー仏教には、それぞれ独自の世界観や方法論があります。
しかし、どちらも1つの思想から派生し、発展してきたものです。
※仏教の伝来については諸説あります。
座り方
座り方に、大きな違いはありません。
坐禅の姿勢も、テーラーワーダー仏教で行われるマインドフルネス瞑想も、姿勢は同じです。
ただ、禅では、座る姿勢そのものに価値があるとされています。
曹洞宗国際センター所長である藤田一照氏は著書の中で坐禅の姿勢についてこのように説明しています。
坐禅は、自己の正体を本尊とし自己の正体を生き生きと働かせて生きるという文字通りの「姿勢」です。(中略)そういうところから見直してみると、(中略)世間一般に流布している坐禅についての理解はまったく的外れだということに気が付きます。
正しい坐相っていうのも、視線が45度下に落ちているとか、とにかく目で外から見た形を言っているんだけど、それよりも坐っている当人が内側で感じ取っていること、つまり身体感覚的にいうとどうなっているのか、それが大切なんだと思うんです。
(出典:佼成出版社 現代坐禅講義―只管打坐への道 藤田一照著)
正しい姿勢をとろうと己の意思で行うのではなく、自然といい姿勢が取れているような体と心を作ることがもっとも大切だと伝えています。
つまり、坐禅の姿かたちに心の有様が現れるということでしょう。
マインドフルネスには、姿勢に関してそこまでの強調はなく、瞑想しやすい体勢を自分で選んでもかまいません。イスに座っていても、寝転がっていてもよいとされています。
悟りへのアプローチ
坐禅を行うのは、大乗仏教の一派である禅宗とよばれる宗派です。
ここでは、主に曹洞宗における禅の考えをお伝えします。
道元という僧侶が中国に渡り、仏教を学び日本に広めました。
その特徴は、ひたすら坐禅すること。これを「只管打坐」といいます。
座り続けることで、釈迦の悟りを直接体験することを目的とします。
つまり「ただ座るだけで仏になれる」という教えです。「あなたの中に仏がいますよ」という概念ですね。
また、もうひとつの特徴として「坐禅に何も求めない」ということです。
文字通り、ただ座ることを目的としているのが坐禅です。
曹洞宗では、自分の中の仏、つまりは本来の自己に会うために、思いを手放すことが求められます。
それ以外の説明は少なく、座っている人の内側で起こることに関する言及はあまりありません。
一方、テーラーワーダー仏教では釈迦の教えを忠実に守り、釈迦と同じ方法で悟りを開くことを目指します。特徴は、瞑想メソッドに沿って、具体的な瞑想の課題を与えられ、各自それに取り組むようになっています。指導者との面談で、瞑想の進み具合をチェックされるシステムです。
様々な対象を、色々な方法でマインドフルに観察していくことで、マインドフルネスをマスターしていきます。
つまり、意識を集中させる対象を持っているということです。
これは、禅の意識を集中する対象を持たないという点と大きく異なります。
瞑想と坐禅の共通点
マインドフルネス瞑想と只管打坐、どちらもゴールが共通していて、マインドフルネス(いま、ここに意識が集中している状態)を目指すもので、その手段や方法が違うだけだということをお伝えしました。
それ以外にも、重要な共通点があります。それは「もうひとつの私」という概念です。
鎌倉一法庵の住職である山下良道氏は、「私の二重構造」という言葉を使って分かりやすく説明しています。
『禅はそもそも「私の二重構造」を前提としています。修行を始めるやいなや「本来の自己」を探究するのが禅だと教えられます。(中略)「自分だと思い込んでいたけれど、本当の自分ではないもの」があることを前提とした概念です。それを自我とかエゴとも言えるでしょう。』
『自我やエゴがマインドフルであろうとしても、それは不可能。(中略)自我の思いではない、明晰で、静逸な意識。それがマインドフルネス。「もうひとつの私」です。そして、これが禅の言うところの本来の自己なのです。』
(出典:集英社 「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消える 山下良道著
山下氏は「テーラーワーダー仏教はドラマの第1話、大乗仏教はその第2話のようなものだ」と解説しています。
つまり、このふたつをまったくの別物として扱うのではなく、地続きであると考えたほうが自然なのです。
歴史的に見ても根幹は同じで、あくまで枝葉、ゴールへ到達するための方法や考え方が違うのだと考えてください。
瞑想や坐禅は本当に危険なのか?
日本では、オウム真理教の事件以降、宗教や瞑想というキーワードに拒絶反応を示す人が多くなりました。
いわゆる「新興宗教」と呼ばれる怪しい団体は多く、実際に事件につながることがあります。
しかし、マインドフルネス瞑想や坐禅も同じように、「危険だ」とひと括りにまとめてしまってよいのでしょうか。
先ほども説明したとおり、マインドフルネス瞑想、そして坐禅は歴史が長く、釈迦の教えを基本としています。
また、「絶対的指導者」がいるわけではなく、各自が修行や瞑想を通じてマインドフルネスを目指しています。
つまり、指導者を通じないと真理に辿り着けない、そのようなタイプの宗教ではないのです。
これは何を示しているかというと「自分はおかしいと思っていても指導者が言うのであれば、例え不条理なことでも受け入れないといけない。なぜなら、おかしいと思っている自分のほうが間違っているのだから。」という一種の洗脳状態にならないということです。
更に、マインドフルネス瞑想と坐禅、どちらもお金がかかりません。
謎の団体に献金、多額のお布施などをする必要もないのです。
まとめると、瞑想も坐禅も危険性はない、ということです。
瞑想と坐禅の効果を比較
マインドフルネス瞑想は、最新の脳科学研究によって様々な効果が立証されています。
しかし、坐禅はマインドフルネスと違って、各研究機関による実験が行われていません。そのため、これといった効果というものは立証されていません。
しかし、マインドフルネス瞑想と坐禅、どちらも静かに呼吸を続けることによって、心が落ち着くといわれています。
ふたつを完全に切り分けるのは難しく、重なり合う部分も多いため、マインドフルネス瞑想で得られる効果が坐禅で得られることも期待できます。
瞑想と坐禅の体験談
筆者の瞑想の体験談
瞑想は、心のあり方や様子にフォーカスしています。
瞑想の方法について、「呼吸に意識をして」「手のひらの感覚に集中して」など、具体的な指示があります。
そうすることで、瞑想の間に意識を集中させる対象が生じないようにしている印象を受けました。
誘導してもらうことで、スムーズに瞑想状態になりやすいという印象です。
最初は騒がしい心の中が次第に落ち着き、空間に身体が広がっていくような感覚になってきます。
著者の坐禅体験談
坐禅は、姿勢にフォーカスしている印象を受けました。
正しい姿勢、悪い姿勢が決まっていて、詳細に説明を受ける場合があります。
身体と心をひとつと捉え、まずは身体から整えていくのだと思いました。
その後はただ、座ります。
特に誘導はありませんが、気が散ってきたと思ったのならばあの棒のようなもので叩いてもらえます。
誘導がないため集中状態に持っていくのが難しいですが、心がさまようことを、瞑想より実感できると思いました。
余談ですが、基本、寺は冷暖房の施設がありません。事前対策をしていかなかったため非常に辛い思いをしました。
気候がいいときに体験にいくのをおすすめします。
まとめ
坐禅とマインドフルネス、このふたつを重ね合わせたとき、新たな境地へとたどり着けるかもしれません。
そして、それこそが釈迦の目指していたものなのかもしれません。
釈迦の悟り、と聞くと私たちには無関係なもののように感じられますが、意外と身近なものなのですね。
坐禅体験は曹洞宗、もしくは臨済宗と黄壁宗の寺院で行っています。Googleなどで検索してみてください。
マインドフルネス瞑想はアプリで行えます。Relookのアプリをぜひご利用してみてください。
(参考文献:NHK出版 佐々木閑著・ゴータマは、いかにしてブッタとなったのか/集英社 「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消える)
※本記事の内容は、執筆当時の学術論文などの情報から暫定的に解釈したものであり、特定の事実や効果を保証するものではありません。